2015年08月

戦争と個人主義 (第1稿)

様々な世論飛び交う昨今。

米国在住のギタリストがここで一席。


終戦記念日。数日前。

しかしカリフォルニアの8月15日は何の日でもなく、単なるカレンダーの一日。

こちとら日本人のはしくれ。

長くなりそうなこのテーマについて書いてみる事を決意。

深呼吸。。。






小生は戦争経験者。


。。。。。。。。。。



(えっ? という反応待ちの時間)


正確に言うと

一国が戦争をする、武力介入をする、空爆をすると決めた時、

一般市民そして国全体の雰囲気がどういう状態になるのかという体験。

小生の渡米は1996年。

その年の9月にイラクの空爆。

2001年 9/11 勃発。

その10月にアフガン戦争。

この時はさすがに住んでいたボストンで行われたデモ行進に参加。 

報復は何も解決にはならないと。

その甲斐もなく戦争開始。


2003年 イラク戦争。 

これらだけでなく細かい空爆を含めれば


ほぼ毎年のように戦争をしている国に住んで早20年。


「一国が戦争をする、武力介入をする、空爆をすると決めた時、

一般市民そして国全体の雰囲気がどういう状態になるのか。」


この問いの答えは 「どうにもならない」。



20年間平穏。



「日本は70年間ずっと平和です。」と、よく物事を深く考えない人が言っている「平和」

僕がこの20年間ずっと感じてきた「平穏」(実際に一国としては戦争状態)


この二つは酷似。


アメリカという国の特殊性。ほぼ常に戦勝国であり続けた国なりの余裕。





ここで想像話を一席。



真珠湾が攻撃された時

レイテ島の戦いがあった時

硫黄島の戦いがあった時

原爆が落とされた時




その時カリフォルニアに住んでいた人たちは


「ふーん。」って言いながらコーンフレークでも食べていたのではないかと。


(もちろんここで言う「住んでいた人たち」というのは白人の事。

恐らく日系の移民は大変な目にあっていた筈。)



日系人も周りにいない高級住宅街で


戦争のニュースは新聞でみるだけ。




レイテ島で何人死んだという新聞のニュースよりも



今コーンフレークにかける牛乳がないことの方が


重要な出来事。



多少おおげさかもしれないがアメリカとはこういう国。


個人主義。


「お国のために命をかけている人がいるのに コーンフレークに牛乳がないだけで喚くな!」

と叱るも自由。

「レイテ島? しらねーよ それより牛乳どこだよ?」 と言うのも自由。



(勿論70年前はもう少し自由ではなかったかもしれないが建前上、表現の自由を侵してはならないことはこの国の大原則)


例えば

メジャーリーグの決勝戦

スーパーボール

オリンピック


熱狂的に応援している人が多数いる中で

全く興味のない人も相当数。


あのワールドトレードセンターが崩れ落ちた9月11日に

打ちひしがれていた人が多数

一方で誕生日パーティーをしていた知人。


20年間のアメリカ生活の中で

片方のタイプの人間がもう片方に向かって

「なんでもっとスポーツに興味を持とうとしないんだ! もっと興味持て!」

と強制的な圧力をかけているのを見たことは皆無。



9/11に誕生日パーティーをしていた友人。

せっかく用意した料理 友達も多数予定を合わせて参加。

私のパーティーの時にアルカイダは何て事をしてくれたのかと

あくまで自分のパーティー中心。




日本。



一億総火の玉。 


欲しがりません勝つまでは。


同調圧力。


恐らく特高警察の圧力も今では想像できない程のものだったのではないかとは想像可能。



しかし酒場で不謹慎な事をまくしたてている民間人を

特高に密告した同じ民間人はいなかったのかという疑問。



善意、思いやり、気配り これらが作り出す分厚い空気。


この時はたまたまこの分厚い空気は「鬼畜米英」と名前を変えて

日本列島を席巻。


日本人が先の大戦を思い出す時に実際の戦闘や原爆の他に

思い出されるのは

その列島全体を包み込んだ空気。


いやちょっと待てと。


それは戦争を始めたのは軍部で

爆弾を落としたのはアメリカ。


でも嫌な空気を一致団結して作り出したのは



一般市民だったのではないかと。

もともと苛烈だった状況を 

もっと精神的にギズギズしたものにしたのは 


他ならぬ自分たち一般市民ではなかったのかと。


この日本人が集団で作り出す分厚い空気は

その時々の機運によって名前は変えても

常に存在。


昭和天皇の崩御の時の

自粛という名の分厚い空気。

東日本大震災の時の

絆という名の分厚い空気。


日本が日本である以上この分厚い空気というのは常に存在。


それは基本的には素晴らしい事。


思いやりの心。一体感。 


しかしこの強大な分厚い空気には


要注意。







戦争というのは他の国とのバランス関係。

一国だけの問題だけでもなければ

一つだけの問題で始まるわけでもなく

複雑な流れによってやむなく開始されるもの。



起きる時には起きてしまうもの。




仮に起きてしまった時に


戦時中なんだから常に戦果に注目しなくてはならないとか

不謹慎な事を発言してはならないとか

そういった分厚い空気を作らないことが大切。


空気を読まない輩がいてもいい そういう人はそう言う人。

日本軍を声高に応援する人も多数存在。

批判する人も多数存在。

全く興味もない人も相当数存在。


それで良いのではないかと。




なぜこういうことを言うかと言うと




色々な議論を見聞きする中で

まるで自分が鉄砲をもって戦いに行くのか、あるいは自分が軍部の司令官にでもなるのかと

いうような物言いをする人を散見。


我々は一般市民。


我々一般市民が

本当に戦争が起こった時に実際に何をすべきなのかということについて

語っている人はほぼ皆無。



我々一般市民が本当にできる事というのは

ほんのごく僅か。

その一つが

社会の空気を必要以上に息苦しいものにしない事ではないかと。


勿論命をかけている兵隊さんに対する

意図的な冒涜や侮辱はタブー。

しかしそれにしたって人それぞれの敬意の表し方で良い筈。


それ以外は自由に発言したり

戦争自体に興味をもたないという選択肢も込み。




戦争は戦場で行われるべきで


兵隊が戻ってくるべき土地は常に「平穏」でにこやかであってしかるべき。 

それがお互い一般市民の為、傷ついて帰ってきた兵士の為 やがて来る平和の為。


一般市民が戦争を背負いこんでしまったって

誰も得をしない筈。





アメリカが全てに於いて見本になる国かどうかは不明




ただ、


社会がある一定方向に動こうとしている時に


それに乗れない人も、乗りたくない人も存在。


それは放置できる社会。


強制的に乗せようとせず、


放置し、それはそれとして認められる社会。



それを作っていくことが大事なのではないかという考察。


長文 読了 感謝。


追記


因みにこの文章書き直しを数度試みるもまだ未完成。

文章として何が結論なのか 文章の帰結点 論の道順

全てにおいて脆弱。


ただこれ以上こねくり回したところで時間の浪費。

とりあえずの投稿。 将来加筆修正の可能性大いにあり。

アメリカに住まないと分からなかった隠語集

シリーズ化予定。

未定。




ディズニーで働く人々にとって

巨大組織ディズニーは決しておとぎの国なんかではなく

かなり戒律が厳しくお給金も夢の様な額を貰えている訳ではないとの事。

そんなディズニーで働く人々が自分たちの会社を自嘲気味に呼ぶ隠語。


マウシュビッツ。

言わずと知れたナチスドイツのユダヤ人強制収容所Auschwitz。(アウシュビッツ)

それにディズニーのこれまた言わずと知れたボスキャラ ミッキーマウス。

この2つを合わせて

マウシュビッツ。。

秀逸。

推して知るべし労働環境。。 (詳細は未確認)





一人芝居

数ヶ月前の出来事。

キーナファーガソンさんという女優さんの一人芝居に劇伴として参加。


リハーサル中はあまり気乗りのしない仕事だったという件。


理由としては 一人芝居と言いながら誰を演じる訳でもなく演じるのは自分。


自分自身の半生を1時間半の一人芝居にした作品。


数奇な人生を送った人物の半生ならばまだ理解可能。


しかしながら彼女の芝居で描かれる実体験を箇条書きにしてみると


ー 子供時代可愛かった故にやっかみでクラスメートからのイジメに遭遇
ー 女優を目指して田舎からロサンゼルスへ引っ越し
ー オーディションに中々受からない現実
ー 大好きだったお爺ちゃんの死
ー 妊娠中絶の経験



さして芝居にする程の実体験なのか? との疑問。 


これで公演が成功するのか? 人は感動するのか? 


そんな疑問を腹に抱えた中の一つの仕事としての割り切り。 




迎えた公演初日。


キーナファーガソン本気。


不覚にも演奏中に涙。


思いも寄らず人生の大事な教訓を与えてくれたこの体験。


つまり


「ストーリーが大事なのではない、そのストーリーをどう語るのかが大事なのだ」という事。


特に昨今の情報化社会。


いにしえの問わず語りから現代の携帯小説まで全てがアーカイブ化。


完全にオリジナルなストーリーを思いつくのはほぼ不可能。


そこで諦めるのか? いやそれは間違い。


キーナファーガソンの半生ははっきり言って凡庸。 


ロサンゼルスで女優を目指す女の子の話としてはこれでもかと言う程ありふれた話。



でも彼女は「私の人生なんて普通にありふれた話。誰も興味持たないと思う」等と思わず、


自信をもって1時間半の一人芝居という作品に昇華。


どんなつまらない人生でも どんな普通な人生でも 


そこに起承転結と物語の山と谷をつけ


ちゃんとした発声と演技力で表現すれば


人を涙させる作品に変化。


残念ながらこの一人芝居 大ヒットにはならず閉幕。


しかし


名作にならないから、大ヒットにならないからといって作品を作らない人より



駄作でも失敗でもなんでもいいから一つの作品をまとめあげた人の方が凄さ100倍。



両親は離婚もせず今も仲良し。


盗んだバイクで走り出した経験ゼロ。

大怪我、大病 その他死にそうになった経験ゼロ。 


10対1の喧嘩で勝ったぜ的な話もゼロ。


世界的なコンクールで優勝したような話もゼロ。


至って普通なギタリスト。 


そんな自分の人生も語り方をしっかり整えれば


一つの作品に成り得るんだという事。


表現活動に大事なのは


「何を表現するか」より「それをどう表現するか」の方が大切だということ。


思いがけず色んな事を学んでしまった仕事。





エロと可能性


こちとら40代健康男子。


そりゃぁあるさ。 エロっちいことを考える時。


そんな時ふと頭をよぎる哲学的見地。


「エロとは可能性である」論。 まぁまぁちょっと聞いて行っておくれやす的な。



何故下着の女性のグラビア方がビキニの女性のグラビアよりエロいのか。 


その秘密は下着のゴムの緩さ。 生地の薄さ。 


しかしよく考えれば写真の中の水着や下着、ゴムの緩さは不明。薄さも不明。 


見えている肌の面積もほぼ同等。


しかし頭の中にある「下着は薄いものだ」という知識が補完。
 

なんらかの負荷がかかった時に脱げてしまう「可能性」の高さ。軍配は圧倒的に下着。


よってエロさ倍増。



これはキャミソールの肩紐が片方落ちている時の状況も同じ。


数ミリ幅の肩紐によって隠される肌の面積の違いなど全く無関係。


肩紐が落ちていようが胸はしっかり隠れた状態。


相違点?  その答えはズバリ「可能性。」



今、下方向の負荷がキャミソールにかかった時 いや、自分が下方向の負荷をキャミソールにかけた時

下にずり落ちていく「可能性」があるのはしっかりと肩紐が両方してある時としてない時と

どちらなのかという点。 

その見える「可能性」が高い方にエロさを感じるという不思議。

「見えているか見えていないか」という事実とエロさは無関係。

「見える可能性がある」事に存在するエロ。


そう エロとは やる気。 


人は可能性が全くなさそうなものには興味を持ちにくい生き物。




できない思っていた絶望の時。
「これは行けるかもしれない!」と一筋の突破口が見えた時の喜び。


「イエス!可能性!!」




絶対勝てないと思っていた相手に何とか一点先取。
「よし!このまま守り切れば初勝利ができるかもしれない。」と色めき立つ心。


「イエス!可能性!!!」



石鹸の泡で隠してある胸。
「ちょっと水を一滴かけるだけで全部見えるぞ!」とはやる気持ち。


「オー イエス!可能性!!!!」







 

 一体僕は何を書いてるんだろうという気づき。



退役軍人との口論

若かったあの頃。

何も怖くはなかった。。 by 神田川。  などと。。



リトル東京のはずれに当時存在していた日本人経営のジャズバー。 

ジャズが聞けること 日本人のバーテンのお兄さんやお姉さんと話せること 新しい友達が作れること 

そこに行く理由は様々。 

深夜2時に閉店というカリフォルニアの法律をこっそり無視。 グラスを湯のみに変え入り口は施錠。

門番のガードマンに話しかけてこっそり入店。扉を開ければそこは明け方まで盛り上がる秘密の社交場。

「24」で大ブレイク中だったキーファーサザーランド氏も今は無きその店の常連客。



そのバーにて。 ある夜 となりに座った常連のアメリカ人の老紳士。 日本びいき。 何気なく始まる会話。


音楽に関する話題、ロサンゼルスという街の話、日本文化の話 そしてその老紳士の経歴の話。 


老紳士は先の大戦を知るVeteran(退役軍人) それ故 終戦後駐留していた沖縄やその他の地域で生活する機会があり それが日本文化に触れ合うきっかけであったとの事。彼がその店の常連になった理由はジャズバーに似つかわしくない人気メニュー「ゴーヤチャンプルー。」


楽しい会話に進む酒。 しかし話題は何故か先の大戦の意義、そして原爆投下の是非という話題へ。


和やかな雰囲気は一転。

30代前半の血気盛んな日本人ギタリストと白人の老紳士はバーのカウンターで掴みかからんばかりの舌戦を開始。


小生は大学在学中に社会学の授業で原爆について20枚程のレポートを作成。


当時から現在まで 小生の原爆に対する考え方はただ一つ。


「原爆投下は戦争問題として語られるべきではなく、人種問題として語られるべき事。」


老紳士はが持ち出すのはお決まりの論。「原爆が戦争を早く終結させた、そうでなければもっと多くの犠牲者が出ていた。」「日本が真珠湾をしかけたのが最初だ。」


それに対するは若造は「相手がドイツでもやっていたのか?」「長崎と広島で種類が違う爆弾が落とされた理由は?」 と応戦。

続けざまに

「アメリカは当時日本人の事を差別的に見ていたからあんな大々的な人体実験ができたのではないか。アメリカが原爆投下に関して謝罪をしないのは別に構わない。自分にとって腹立たしいのはそうやってアメリカが当時日本人を差別的に見ていたのだという明白な事実を認めたがらない事だ。」

これに老紳士は激昂。急に蘇る軍人魂。

「我が国アメリカは崇高な理念を掲げる国で他国や他人種を差別する等ありえない。 原爆投下は戦術上どうしても必要な手段だったのだ」と。





ここで私はふと気づく。



私が言っている事は本で得た知識。


彼が言っている事は実体験と過去の記憶や思い出に基づく記憶。



仮に私の言っている論が正しかったと仮定。


すると彼は自分の貴重な20代を「差別主義の国」に捧げたという事に。 


激しい訓練、実戦の地獄、殺めた命 失った友。 そんな彼を唯一支えているのは自分がやってきた事は正しかったんだという思い。 


自分が青春を捧げたアメリカという国は悪い国じゃない!素晴らしい国なんだ!と思いたい気持ち。

それは兎にも角にも自分の存在意義。

国ではなく 戦争ではなく 理念ではなく 単に自分の為。

ただその老紳士が朝気持ち良く目覚め、愛する人に清々しくおはようと言う為に 必要な事。


それがアメリカを愛し、アメリカは絶対間違っていないと信じる事


だから私の論等を絶対に認める訳にはいかない。


私に彼の人生を全否定する権利など皆無。




理論を振りかざすもよし。 勉強するもよし。 議論もデモも素晴らしい。



しかし戦争というものは端的に言えば実際に戦う兵士が一番関わるもの。


賛成であれ反対であれ実際に関わる軍人達の存在を考えずに議論をするのには大きな違和感。


「大学の授業の一コマ」と「一人の男の人生そのもの」 

仮に一コマの方が正しかったとしてそれが何になると言うのか。


この口論がどう終わったのかは残念ながら失念。


程なくして隠れ家的な商売がロサンゼルス市に咎められこのバーは閉店。


あの老紳士は今何処。。 お元気であることを願うのみ。





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