ネットというものの難しさの考察。

言葉を投げかける時、文章を書くときには相手というものが想定されている事が通常。

しかし際限のない電脳空間に言葉を放つ時にふと思う。 はて誰に向かって書いているのかと。


自分の人格、そして相手との関係性を表す部分、それは語尾。


それは語尾なんだよね。 馴れ馴れしい親しい友達。

それは語尾である。   固い人格 そして距離感のある間柄。

それは語尾だぜ。    男っぽくかっこつけた人格 そしてそれを見せたいと思っている相手。

それは語尾なの。    おネェ的人格。 そしてそれを受け入れてくれる間柄。


枚挙に暇無し。

相手が誰であるのかも解らずに自分で勝手に相手との距離を押し付ける事が得策なのか否か。

少なくともそれが僕のスタイルでないことは確か。 

誰に届いているのか分からない文章は語尾を付けずに尻切れとんぼ。 

理解していただけるかは別にして 一応深く考えた上での僕なりのネット上の礼儀。

それが体言止め。


そしてどうだろう、体言止めが並ぶ事で生まれる見事なまでのスカスカ感。

文章に生まれる余韻と隙間風。


好物。