若かったあの頃。

何も怖くはなかった。。 by 神田川。  などと。。



リトル東京のはずれに当時存在していた日本人経営のジャズバー。 

ジャズが聞けること 日本人のバーテンのお兄さんやお姉さんと話せること 新しい友達が作れること 

そこに行く理由は様々。 

深夜2時に閉店というカリフォルニアの法律をこっそり無視。 グラスを湯のみに変え入り口は施錠。

門番のガードマンに話しかけてこっそり入店。扉を開ければそこは明け方まで盛り上がる秘密の社交場。

「24」で大ブレイク中だったキーファーサザーランド氏も今は無きその店の常連客。



そのバーにて。 ある夜 となりに座った常連のアメリカ人の老紳士。 日本びいき。 何気なく始まる会話。


音楽に関する話題、ロサンゼルスという街の話、日本文化の話 そしてその老紳士の経歴の話。 


老紳士は先の大戦を知るVeteran(退役軍人) それ故 終戦後駐留していた沖縄やその他の地域で生活する機会があり それが日本文化に触れ合うきっかけであったとの事。彼がその店の常連になった理由はジャズバーに似つかわしくない人気メニュー「ゴーヤチャンプルー。」


楽しい会話に進む酒。 しかし話題は何故か先の大戦の意義、そして原爆投下の是非という話題へ。


和やかな雰囲気は一転。

30代前半の血気盛んな日本人ギタリストと白人の老紳士はバーのカウンターで掴みかからんばかりの舌戦を開始。


小生は大学在学中に社会学の授業で原爆について20枚程のレポートを作成。


当時から現在まで 小生の原爆に対する考え方はただ一つ。


「原爆投下は戦争問題として語られるべきではなく、人種問題として語られるべき事。」


老紳士はが持ち出すのはお決まりの論。「原爆が戦争を早く終結させた、そうでなければもっと多くの犠牲者が出ていた。」「日本が真珠湾をしかけたのが最初だ。」


それに対するは若造は「相手がドイツでもやっていたのか?」「長崎と広島で種類が違う爆弾が落とされた理由は?」 と応戦。

続けざまに

「アメリカは当時日本人の事を差別的に見ていたからあんな大々的な人体実験ができたのではないか。アメリカが原爆投下に関して謝罪をしないのは別に構わない。自分にとって腹立たしいのはそうやってアメリカが当時日本人を差別的に見ていたのだという明白な事実を認めたがらない事だ。」

これに老紳士は激昂。急に蘇る軍人魂。

「我が国アメリカは崇高な理念を掲げる国で他国や他人種を差別する等ありえない。 原爆投下は戦術上どうしても必要な手段だったのだ」と。





ここで私はふと気づく。



私が言っている事は本で得た知識。


彼が言っている事は実体験と過去の記憶や思い出に基づく記憶。



仮に私の言っている論が正しかったと仮定。


すると彼は自分の貴重な20代を「差別主義の国」に捧げたという事に。 


激しい訓練、実戦の地獄、殺めた命 失った友。 そんな彼を唯一支えているのは自分がやってきた事は正しかったんだという思い。 


自分が青春を捧げたアメリカという国は悪い国じゃない!素晴らしい国なんだ!と思いたい気持ち。

それは兎にも角にも自分の存在意義。

国ではなく 戦争ではなく 理念ではなく 単に自分の為。

ただその老紳士が朝気持ち良く目覚め、愛する人に清々しくおはようと言う為に 必要な事。


それがアメリカを愛し、アメリカは絶対間違っていないと信じる事


だから私の論等を絶対に認める訳にはいかない。


私に彼の人生を全否定する権利など皆無。




理論を振りかざすもよし。 勉強するもよし。 議論もデモも素晴らしい。



しかし戦争というものは端的に言えば実際に戦う兵士が一番関わるもの。


賛成であれ反対であれ実際に関わる軍人達の存在を考えずに議論をするのには大きな違和感。


「大学の授業の一コマ」と「一人の男の人生そのもの」 

仮に一コマの方が正しかったとしてそれが何になると言うのか。


この口論がどう終わったのかは残念ながら失念。


程なくして隠れ家的な商売がロサンゼルス市に咎められこのバーは閉店。


あの老紳士は今何処。。 お元気であることを願うのみ。